国分寺ジャンクフード「ポパイ餃子」

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今はもうありませんが、学生の街国分寺を象徴するような
お店のひとつだったのが「ポパイ」という餃子専門店。
中古レコード屋で有名な珍屋のそばにありました。
澁谷のテニス部の先輩(下宿組)がよく通っていたようです。
違う先輩(自宅組)は人間の食べ物じゃない!と言っていました。
「餃子だけど油で揚げたようなもの」
「形は普通の餃子とは違う」
「20個以上は料金変わらず」
「店は小さく汚い」などなど。
伝え聞いた逸話は男子学生なら心躍るものですねぇ(私だけ?)。
ポパイが閉店したのは25年くらい前だったと思いますが、結局
一度も食べなかったのを後悔しています。
イメージとしては写真の「ホワイト餃子」に近いのかな〜?
いや、それも食べたことないのでなんとも…(ダメじゃん!)。
それ知ってる!食べたことある!って方はぜひコメント欄に
投稿お願いします。
あ〜餃子食いたい(笑)。

国分寺ジャンクフード「ポパイ餃子」” に対して5件のコメントがあります。

  1. 昭和レトロ爺 より:

    1970年代半ば、この餃子の大ファンでした。お店で食べたり(最大20個)生で持ち帰り冷凍して自分で焼いたりしていました。ホワイト餃子のライセンス店と理解、お若い学卒のご主人と美人の奥様がお店を始められて地元紙で紹介されていたと思います。今でも巣鴨にあるホワイト餃子系列店に行って懐かしい食感を味わっております。

  2. kicco より:

    けさ、金沢の第七餃子の話題がテレビで流れて、ギョウザの形から国分寺にあった店を思い出しています。今は国分寺から遠く離れて住んでいるので、その後のお店のことは知らないままでした。とっくになくなっていたのですね。残念です。
    お店の名前も忘れてました。ポパイだったのですね。
    ここの餃子は実家から離れて暮らしていた時の御馳走でした。国分寺駅北口を出て右方向進み、商店街を半ば過ぎた辺りにあったので、たぶんこのお店だと思います。確かにあまり美しいとは言えない店内でしたが、お皿いっぱいに盛り付けられた丸っこい餃子に最初は衝撃を受けた記憶があります。店内の壁には何十個と食べた人の記録がいくつも貼りだされていたような気がします。(笑)
    ニンニクもたっぷり利いていたように思います。
    女子学生が入るには勇気のいるお店でした。
    食べ物の記憶はその時の様々な事まで思い起こしてくれますね。セピア調とは言い難いですが。
    国分寺のギョウザのお店のことを記録に留めてくださっている人がいてうれしかったです。
    すみません、テニスとは無縁の生活を送っているのでこのサイトではお邪魔虫だと思いますが、懐かしさのあまり書き込ませていただきました。
    〈国分寺、ギョウザ〉で検索してこのページがヒットするなんて。なんとお手軽な時代になったものでしょう。長生きはするものですね。
    今夜はギョウザを作りましょ。

  3. go for it ! より:

    投稿ありがとうございます。
    懐かしの国分寺ネタですが、最近北口再開発で建物取り壊しがすすみ、
    駅前がスカスカに空きだしました。
    しばらくしたら見違えるほど都会的に変貌しているはず。
    その前に昔の国分寺を目に焼き付けたいところです。

  4. 松村某 より:

    国分寺の餃子のポパイ、知ってますよ。たぶん私と同世代の方ですね。
    当時は週2,3回通ってました。安いし、おいしいし。
    確かにホワイト餃子に似てました。もしかしたら、ホワイト餃子のお店だったのかなあ。
    今は、本川越駅のそばのホワイト餃子のお店に通っていますが、あの国分寺のポパイと決定的に違うところはニンニクを具に入れてないということですね。ポパイの餃子には、具にニンニクがたくさん入っていた気がします。

  5. 松村某 より:

    国分寺の餃子のポパイ、知ってますよ。たぶん私と同世代の方ですね。
    当時は週2,3回通ってました。安いし、おいしいし。
    確かにホワイト餃子に似てました。もしかしたら、ホワイト餃子のお店だったのかなあ。
    今は、本川越駅のそばのホワイト餃子のお店に通っていますが、あの国分寺のポパイと決定的に誓うところはニンニクを具に入れてないということですね。ポパイの餃子には、具にニンニクがたくさん入っていた気がします。

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