国分寺あれこれ

go for it ! のある国分寺についてのあれこれです。
国分寺という地名は、奈良時代に天然痘などの禍を鎮めようと
全国に建てられた国分寺・国分尼寺のあった場所に由来しています。
当時の名称武蔵国は(澁谷の実家がある)府中市の大國魂神社が
中心でした。国府の中心ということで府中と呼ばれるわけですね。
その2km離れた環境の良い場所として国分寺が建立されました。
国分寺駅付近で有名なスポットでは、輪島功一の「だんごの輪島」や
椎名誠の出世作の「さらば国分寺書店のオババ」のモデルになった
本屋跡地があります。大学は東京経済大学があります。
澁谷が国分寺でお店を開いたのは大学時代馴染んだ場所だったから
ではなく、たまたま知り合いが国分寺の駅前の地主の息子さんで
物件を提供してくれたからなんです。
また、3億円事件の東芝府中工場のボーナスのための現金を
用意した日本信託銀行国分寺支店が、お店のすぐそばにありました。
今ではコンビニとファミレスになっています。
ちなみに、澁谷の両親は東芝の社員で府中の自宅は東芝社員用に
分譲された地域。近所がすべて東芝社員という濃ゆい町内です。
西武鉄道の創始者、堤康次郎氏が初めて開通させたのが現在の
西武多摩湖線(国分寺 – 萩山間)です。いまだに単線ですが(笑)。
萩山は澁谷がテニスコーチとストリンガーになるきっかけになった
萩山テニスコートがありました。当時は西武鉄道・国土系の施設が
全国にあり、とてもよい環境でテニスを学ぶことができました。
幼少のころから多摩地区で育った澁谷にとって国分寺界隈は
居心地のよい場所です。これからものびのび仕事していきます。
今回は文字びっしり!本来の澁谷の原稿はこんなもんです(笑)。