ストリンガーになってから その2
西武スポーツ吉祥寺時代は、ストリンガーと
してのキャリアを積めました。店でお客さんの
ラケットを張る仕事をこなすだけではなく、
プロ選手のサポートをするオフィシャルの
経験もしてきました。
当時スタートした東レ・パンパシフィック
オープンのオフィシャルストリンガーとして
すべての選手のラケットを張り替える役目です。
セゾングループがスポンサーであったことも
あり、予選から会場でサポートにマシン搬入。
世界女子ダブルス選手権セーラムとかも
担当した記憶あります。
トーナメントのコーディネイターが歌手やめた
子門真人さんだったのは驚きましたけど。
記憶は定かではないのですが、たぶんデビュー
したての伊達選手のラケットも張りました。
他には全日本最年少優勝15歳4ヶ月、ヤマハを
使用していた雉子牟田明子(姉)選手とか。
ダブルスが強かった平木理化選手とか。
代々木体育館で行われていた当時のPPO。
写真は日本で大人気だったマレーバ。
可愛かったです〜。
グラフがランキング1位になる直前に初来日。
決勝の日が大雪で大変でした。
グラフと並んだけどそれほど大きくないのが
意外でした。顔はすっごく小さかった〜。
いい思い出ですぅ。
世界女子ダブルスはバージニアスリムスだったっけ。間違いました。当時はスポーツイベントにタバコ会社がメインスポンサーになっていた時代。いまではちょっと違和感ありますが。プレスルームに10本入りサンプルのタバコが山積みで取り放題になってました。