ストリンガーになってから その1
プロデビューを果たしたのでタイトル変更。
ストリンガーとして仕事を始めたのは吉祥寺
西武スポーツ館でした。
コーチ時代のヘッドコーチに紹介してもらい
内定した大学4年の夏からアルバイトとして
スタートしてました。
西武百貨店のスポーツ専門店として、特殊な
存在だった吉祥寺店は、各フロアに色々な
競技のゾーンがあり、スキーやゴルフ、
スイムやサーフ、ボールゲームやトラック
競技と多岐にわたっていました。
マイスターという各競技の専門家がいて、
道具の説明やカスタムをしたり、店外で
競技の指導をしたりするシステムでした。
特に刺激されたのがスキーの板のチューン
アップのブースや、ゴルフのクラブの
カスタムや、スポーツシューズのリペア
などの加工専門の職人マイスター達。
澁谷もラケットのマイスターとして認めて
もらえるようになりたいと頑張りました。
80年代のころはテニスブームだったので、
フレームは飛ぶように売れて、張る作業も
かなり多かったのでものすごく忙しかった
記憶があります。
連休ともなると、あっという間に目の前に
10本単位のラケットの山が次々築かれます。
当時は「即張り」というのは一般的ではなく
通常2〜3日後にお渡しでしたが、混んで
くると1週間待ちとかはザラ。
ひたすら張り続けるために、同じフレーム
ごとに仕上げていきました。マシンの
セットが楽で効率的でしたから。
ストリングも今ほどは種類が多くなく、
お客さんもほとんどがゴーセンミクロL。
その後はミクロスーパーでした。
テンションもあまり範囲は広くない。
1時間に張るペースは基本3本。
超急ぎで張るとどのくらいかを試した
ことがあります。10分超えるくらい。
手抜きをしないで、という条件付きです。
でも、そんなに集中力は続かないので
1時間に4本までが限界でしたね。
スピードを求められることもあるので
ある程度は修行で試したりしてました。
あと、演出としてフロアの真ん中で張る
こともありました。見られている緊張感の
中でも美しく作業ができないといけません。
面白いのは、通りがかって足を止め、じーと
覗き込むのはほぼ男の子とおじいさん(笑)。
年取ると子供に戻るって本当だった!
それでも張り替えのフレームに関しては
なるべくきれいに磨いてお返ししたいと
濡れタオルやクリーナーで拭いていました。
今ほど凝っていませんが、塗装のハゲも
目立たないようにインクで補修。
当時全国を回っていたメーカー営業さんが
「全部掃除してるの?そんな手をかけて
いるのは私が知る限り澁谷さんだけだよ」。
顧客を満足させたいという、コーチ時代の
ポリシーで行っていた行動です。
バタバタと仕事しながら次回に続きます。